1998年 劇場用映画 『流★星』
外らちいっぱいのレール
映画の全盛期における最高の被写体は馬だった。馬は昔の映画のフレームに(現在のヴィスタサイズに近い)ぴったり収まり、パンやトラックで正確に追いかけることが可能な限界に近いスピードで走ってくれる。その結果、西部劇や騎士物語りのような馬が登場する映画が全盛を極め、『駅馬車』におけるインディアンとのチェースや『ベンハー』での戦車競争など、馬が対象となった多くの名場面が生みだされてきた。インディアンに対する人権問題によって古い西部劇の多くが上映できなくなったのは(当然のこととは言え)映画のためには不幸なことでもあったとも思う。ジョン・フォ-ド監督は砂漠に長い長いレールを敷いてインディアンと騎兵隊の戦闘をトロッコで追いかけたが、それに憧れた黒澤明監督は『七人の侍』で少々現実離れした騎馬の野武士を創造した。黒澤監督はその後も武田騎馬軍団をたびたび題材に選び、そんな黒澤監督に憧れたスピルバーグ監督やルーカス監督は、馬に変わって宇宙船やUFOをコンピュ-タ-・グラフィックスで追いかけることで、新たな映画の魅力を呼び戻した。
とはいえ、今でも馬は最高の被写体となり得るはずだ。そう、競馬があるではないか。『緑園の天使』なんて大した映画ではなかったけれど、競馬だから(エリザベス・テイラーだからかもしれないが)評判作となった。『サンダウナーズ』等という作品は競馬シーンだけが記憶に残っているし、なぜか日本に輸入されなかったが『ファーラップ』という大傑作の競馬映画もある。いつか私が競馬映画を作ることができたならコースの外ラチ沿いに長い長いレールを敷いて、直線の叩き合いを、テレビの競馬中継では観られないような長い長いワンカットのトラックショットで撮りたいとも思う。
で、この『流★星』の場合は、そんな予算もないので、ほとんどの競馬映画と同様のカットバックでレースのシーンを処理しているのだが、少なくとも過去の日本映画(アメリカやオーストラリアでは当たり前の事であるが)で、これほど馬が立派に演技をしている作品はなかったように思う。クライマックスでリュウセイが砂浜を走り出す時、へんに盛り上げるための演出をせず、緒形拳さんも余計な働きかけをせずに、ただリュウセイの動きだけを追って、リュウセイの演技だけに頼ったのはすごいと思う。
西部劇や騎士物語が小説としてはさほど人気を呼ぶこともなく、確かに読んでもさほど面白くないけれど、映画になったとたんに生まれ変わったような生彩を放つのは、やはり馬のお陰だろう。競馬に関しても小説として面白いものは少ないけれど、映画になればずっと優れた作品が生まれるのではないかと思う。『流★星』はそんな可能性を示してくれた作品でもある。競馬の歴史には映画化すれば素晴らしい作品となりそうな物語りが無数にある。私がまとめた「伝説の名馬」の100頭の名馬の逸話のほとんど全てがそのような素材(映画になったのはファーラップだけ)だし、無名の馬にもその数万倍の物語がある。競馬には国王や教主から『流★星』の主人公のような存在にまで、すべてに夢と憧れと試練と野心を沸き立たせてくれる独特の世界があり、それは確かに中世の騎士道やアメリカのフロンティア精神から受け継がれてきたものだろう。競馬を通じて誰でも騎士になれるし、カウボーイにもなれる。そういえば緒形拳さんの演じる『流★星』の主人公はどこか、あの偉大な遅れてきた騎士、ラマンチャの男に似ているとは思わないだろうか。
文:山野浩一(評論家)