1995年 劇場用映画 『ファザーファッカー』



製作:フィルムメイカーズ/ホリプロ/ポニーキャニオン

小説『ファザーファッカー』の映画化企画を進めるにあたり、まず製作費のめどをつけなければならない。
“それには製作母体が要るなあ”と沢田が言った。
秋山の会社であるスコブルコンプレックス曾社、孫が経営に参加するリトルモア、沢田の勤めるマガジンハウス、そしてこの企画の為だけに作る製作委員会が候補に挙った。
“そ、そういうんじゃなくて会社作ろうよ”秋山が言う。
“えっ、誰が?”と沢田。
“そりゃ、今一番自由がきく菊地がええんちゃう”と孫。
“わかったよ”と菊地。
こうしてフィルムメイカー達が集まる会社という意味を含めてフィルムメイカーズという会社が菊地を代表者として設立された。
映画『ファザーファッカー』の主演は14才の少女である。
“14才の女優、しかも主演”考えただけで層が薄い、広く一般公募が望ましいが秋山、孫、菊地、沢田4人は14才の少女を映画に引き込んだ場合、その後の彼女の人生が大きく変わる事を知っていた。少なくとも、この映画に出演した後も所属できる正式なプロダクションを見つけておかなければ一般オーディションはやるべきではない。そこで沢田の旧知のホリプロの鈴木基之に相談を持ちかけた。鈴木はオーディションで新人が選ばれた場合ホリプロが責任を持つ事を約束してくれたばかりか共同製作という形の出資も会社に提案してくれる事になった。
鈴木の提案がホリプロ内で承認され正式に製作に参加する事になると、オーディション準備はホリプロスカウトキャラバンで実績のある鈴木の意見がおおいに力になった。それでもまだ足りない資金はポニーキャニオンの参加によってどうにかめどがついた。