1995年 劇場用映画 『ファザーファッカー』


やられた女の言い分  内田春菊
映画『ファザーファッカー』劇場用パンフレットより

「義理の父親にやられたくらいでないと、立派なマンガ家にはなれないもんなんですかねえ?」と四年近く前、そのころのボーイフレンドに言われたことがある。「ファザーファッカー!」というのはその一年後、同じ彼から私へ浴びせかけられた罵倒語だ。つきあってた男からここまで言われる私って何?と涙が止まらなかった。しかしその半年後、結局私の考えは「こんだけ泣いたんだからモト取ろう」というところに落ちついたのだった。「おまえのかあちゃんでべそ」という小説を出すようなものだったのかもしれない。まあそれもよかろうどーせよっぽど境遇の似た人か、私に興味を持ち過ぎている人しか読まないだろうし、なんてその程度にしか考えてなかったんです文春さん、ごめん。
ところが考えていたよりたくさん売れてしまった。嬉しいけど思っていたこととあまりにも違うことが起きると、誰だってあわてる。そのうえ毎日毎日、「あれは本当のことですか?」と同じ事ばっかし聞かれる。確かに、「売れないと困るから帯に自伝という言葉を入れましょう」と言われたときに、はあそんなもんなのかと思い、「あーそうですね、せっかく出してもらったのに迷惑かかるほど売れなかったら大変だしどーぞ」とは言ったけど、そんなにみんなが事実かどうかばっかし気にするものとは思わなかった。
その後、とっくにつきあいのなくなっていた当のボーイフレンドから、「あのタイトルはな、オレがつけたんだよ」と留守番電話に録音が入っていたのを聞いて、私は、「まあ人生とは面白いものよのう。いややっぱ自分の人生は面白くしようとしたほうが勝ちってことよね」などとつぶやきながら、気持ちよくその電話番号を変えてしまったのだった。
お話し変わって秋山道男は私の名付け親で、この仕事の周辺ではもっとも古い知り合いだ。十三年ほど前、池袋の喫茶店でウエイトレスをしていた私(二十二、三歳・主婦)に、まるで昔の少女マンガのアイドル・スカウトシーンのように何の脈絡もなく名刺をくれ、さらに数日後十円玉もくれ、セックスの一回もせずにそれから今までの私を後ろから前からプッシュし続けてくれた心の恩人なのである。
その彼に「ファザーファッカー」出版半年前、
「こういう本書いてて、そんでやっとでそうなの」と話をしたところ、
「そ、その小説、オレに、くれ」というので、
「いーよ」と言った。それが映画化へのいきさつです。そしてこの映画の中の彼のチャーミングな姿は充分私を満足させるものである。惚れなおしちゃったわ、パパ。
監督の荒戸さんは男の子としてはちょっとやんちゃな人ではあるが、最近私は「可愛いので許す」という結論に落ちついた。なぜなら実際の私の養父に似たところも大いにあるこの監督のこの作品を見たときに、まるで彼が養父からのラブレターを代筆してくれたような気分になったからだ。
「あの人は私を好きだったのかしら?」
試写を見た私は思わずそうつぶやいた。
「そりゃそうでしょう」
答えたのは今の夫だった。
「でも私は一度だってそんなこといわれたことはなかった」
養父が母や妹の住んでいたあの家で創ろうとしていた、彼だけのパラダイスを後ろ足で蹴って砂だらけにして去ったのが私だった。でもさ「性的虐待をされていた内田さん」つーのは「ちょっと違うよ」と思うわけ。私とやりたいと思った男がなんだかんだ理屈をつけたのでまあやられてしまったかもな、というのは何も養父に限ったことではないし、そんなことならその後だっていくらもあった。私だってその時は「別にいっか」とか思っていたのでしょーがない。
でもそこで、私の言いたいことは本当は母にあるのだ。
まあでもねえ。売春禁止法直後の空気に踊らされてちょっとばかしその気になっちゃった、お調子者の田舎の女の子だったんだろうなと今は思う。
あの頃「あたしの人生はね、書けば小説になるのよ」が口癖だった彼女が、
「あたしのことは映画になったのよ。それもあたしの役があの桃井かおりよ!」とか言ってるところが目に浮かぶわ。もー、春菊、困っちゃう。


原作:内田春菊

映画『ファザーファッカー』は直木賞候補となった内田春菊の同名ベストセラー小説(文芸春秋刊)を原作として製作された。

企画:秋山道男

この映画の企画者で、主人公静子の義父役を演じた秋山道男は内田春菊の名付親である。

監督:荒戸源次郎

監督、荒戸源次郎は大和屋竺監督の『朝日のようにさわやかに』、鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』を製作。その後、阪本順治、坂東玉三郎監督作品など話題作を製作プロデュース。映画『ファザーファッカー』は初監督作品である。

この文章の内田春菊と秋山道男との会話のくだりにもあるが、秋山は興奮すると少し言葉が詰まる。彼の心と頭の中にあふれる彼の“思い”は口から出るのが待ちきれないのだ。つまり内田春菊の原作小説『ファザーファッカー』は秋山を興奮させる作品だったのだ。事実、93年秋、小説『ファザーファッカー』は発表されるや否や筒井康隆、中沢新一を初めとする文壇や評論家の大絶賛を浴び直木賞候補となり、ドゥマゴ文学賞を受賞、ベストセラーとなった。そうなると内田春菊のもとには映画化、テレビ化の交渉がひきもきらず押し寄せた。彼女はその全決定権を彼女の最も信頼する秋山に約束通り委ねた。秋山は持ち込まれた映像化の企画(製作:○×、監督:○×、主演:○×、他)を次々と検討していった。