2002年 劇場用映画『青い春』


-『青い春』の話-


※ このコラムは2002年7月より当サイトにて連載したものです


『青い春』の話(1)

6.29日映画『青い春』が初日を迎えた。
ワールドカップも大詰めの日というのに沢山のお客さんに来て頂き、スタッフ&キャスト共々感激でした。来ていただいたみなさん本当に有り難うございました。
“青い春”…。“青春”と言ってしまうと気恥ずかしいが、ただそれは真っ只中にいる時には気づかない事も多く、只々切なく悩んでしまうことが多い。
この映画の冒頭のメインタイトルに着目して欲しい。それは青くぼやけた青い字体のデザインで描かれている。監督もこのデザインが気に入り、現場中にスタッフ&キャスト用に作ったスタッフTシャツにこのデザインを使う際には、もっと、もっとぼかして欲しいと要求した。Tシャツ屋さんが‘これじゃや着てる本人にはなんて書いてあるか読めませんよ’と言った。近くにいると何だかピンボケのようにぼんやり青いだけだ。監督はそれが良いんですよと言った。だが、離れて見るにつれはっきり分かってくる。“ああ青い春だったんだ”と。
公開を前にもう一度そのTシャツを作ることにした。
今度はバックに松本大洋が劇中で九條の机の落書きとして描いてくれた絵を複写して載せたいと監督は言った。
『この絵のように逆さに落ちてしまわないよう、気合い入れて手を叩け!』
と言うことなのだろうか…。

『青い春』の話(2)

映画『青い春』は男子高校の話だ。そして脚本の段階から学校以外でのシーンが無かった。それはシンプルだがある種挑戦でもあり悩みも出てきた。悩みの一つは衣裳だった。原作では学生服である。だが学生服にも色々ある。オーソドックスな奴、短ラン、長ランなどなど。オーディションに来てもらった若い才能達にもどんな学生服だったかを聞いた。ブレザーや私服だったとの答えも返ってきた。それらを踏まえ美術スタッフとも相談して衣裳の宮本が言った‘メインの学生服は創ります’。宮本は豊田監督の1作目ポルノスターの衣裳も担当したベテランの衣裳担当である。シンプルでキャストが格好良く見え、なにより着ているキャストが欲しがるような学生服を作りたいと言うことだった。限られた予算の中で素材にこだわり、出来た学生服をキャスト達は気に入ってくれ、撮影が終わったら欲しいと言う者もいた。
あの映画は衣裳が素晴らしかったというような映画の見方もある。『青い春』の衣裳は一見地味だが、試行錯誤して学生服を創った。その学生服は7月5日から原宿のgreyでのイベントで展示される。興味の有る方は是非立ち寄って頂きたい。
ちなみに欲しいと言っていたキャストは朝日高校のボタンを付け替えて私服として着たいと言っていた。

『青い春』の話(3)

7月5日渋谷シネマライズでトークショーが行われた。豊田監督とオーディションでは悩ませられた新井浩文、EITAの顔触れの予定だった。
新井とEITAについて監督がトークショーで言っていたことは全て事実である。オーディションではEITAはみんなが印象的に感じたが、青木役とはちょっと違った。しかし、監督に一緒に仕事をしたいと思わせるものを持っていた。監督はEITAの為に原作にはないオバケという役を創ってきた。
新井は全くの新人でオーディションでも演技とはほど遠い出来だった。しかしみんな何かが引っ掛かかっていた。‘やる気?’ ‘根拠の無い自信?’そんな物ではない、それさえ無い者はオーディションを受ける資格すらないだろう。監督が言うように反対するものも多かった。新井の名誉の為に言っておきたいのだが、それは新井に原因が有るわけでは無い。映画製作には莫大なお金がかかる。全くの新人を映画の主役クラスに抜擢するのはリスクが大きいと考えるのが普通なのだ。龍平の九條、高岡蒼佑の雪男、大柴の木村、山崎の大田、吉村を忍成、と青木以外のキャスティングが決まってきていた。監督の頭の中で引っ掛かっていたものが確信に変わった。“青木は新井でいきます。”
ここで新井の青木が誕生した。
5日の渋谷シネマライズでトークショーにはたまたま遊びに来た松田龍平、高岡蒼佑、忍成修吾も壇上に上げられ豪華な一夜となった。

『青い春』の話(4)

設定が学校の中だけということでは美術も苦労しそうだった。学校というのは何処も大同小異で、これまた変わり映えがしない。メインとなる屋上も変化のつけようがないし、落書きといってもたかが知れてる…と思っていた。
…が、美術プランを聞いて驚いた。 ‘登場人物達にとって屋上は聖域のはず、とすればフラットな屋上に彼らだけの最屋上が有るべきだ。’そう言って 美術デザイナーの原田は屋上にもう一つ最屋上を創った。見事な創造物だった。最屋上ができ上がった時、映画の撮影用に造っていると知らない近隣の住民の方から‘あんな屋上を急に建て増しして安全上に問題は無いのですか?’と苦情がくるほどの出来だった。
音楽室の落書きにも驚かされた、果たして元に戻すことが出来るのかしらと心配になるほどの大胆でダイナミックな落書きだった。これで音楽室のシーンはうまくいくに違いないと確信した。
原宿のgreyでは映画美術を再現した色々な物が展示してある。スタッフTシャツのバックプリントにもなっている、松本大洋さんが劇中用に机に描いてくれた絵を巨大に拡大して壁に掛けてあったりする。
ちなみにgreyは原宿竹下通りを抜けて明治通りを渡り路地を50mほど行った左側にある。

『青い春』の話(5)

“その時に見合う言葉が見つからなくて苦しかった”という意見が映画を見て『青い春』Tシャツをネット注文してくれた女性から添えてあったそうだ。
さて、映画が完成すると、スタッフ&キャスト試写に始まりマスコミ試写と続いていく。
映画を観終わった人たちが出てくるを待ち、彼らの反応を見るのはいつも緊張する。ただ、関係者試写の場合大方の場合極端にけなされることはない。面白ければ思いっきり褒めてくれるし、嫌いな映画でも大体にこやかに出てきて黙って帰って行ったり‘うん、結構よかったよ’とか言って帰って行ったりする。だが『青い春』の場合は少し様子が違った。押し黙ったようにむっつりと出てくる人が多かった。『映画が気に入らないのか?』と不安になった程だった。
ある試写会で私の信頼する映画プロデューサーが観て出てきたので“どうだった?”と聞くと、私を押しのけるように押し黙って出ていった。“なんだ、あいつもか!”と思っていると30分後、携帯に電話が掛かって来た。“さっきは悪かった”と言い、冒頭の女性と同じ台詞を言った。そして“素晴らしい映画だ、又観たい、次何時観れる”と。嬉しかったが“次は劇場で観ろ”と言った。

『青い春』の話(6)

木村モノローグ
「野球ひとすじ青春かけて、目指すは男甲子園。クソみたいな学校で野球だけがおれの華、金属バットに命かけ投げるボールに夢こめた、咲かせてみせます野球魂。叫ぶ拍手と歓声にまぎれて見えた母の顔こんな愚かな俺だけど愛してくれる人がいる、いつも笑顔でいてくれるそんなあなたを愛してます。たとえ我が身が滅びても汗と涙がかれるまで走り続けろ甲子園、我が青春に悔いなし」
木村が学校を去る時のモノローグである。文章で読むのと映画の中で大柴が発した台詞とでは印象が違うかも知れないが、脚本の段階ではこのシーンの台詞はまだ決まっていなかった。大柴が木村役に決まり、木村を演じていく撮影のなかで監督と大柴で作り上げた木村像が発した台詞とも言える。それが映画の力であり大柴の魅力である。もう一度『青い春』を観る機会があれば一緒に口ずさんで欲しい“野球”の所をバスケに変えて、テニスにかえて、サッカーに変えて、バンドにかえて、愛する人の名前に変えて。そしてやせ我慢でも良いから“我が青春に悔いなし”と見栄を切ってみてはどうだろうか。

『青い春』の話(7)

あらためて言うまでもないことだが、映画にとって音楽は非常に重要だ。
『青い春』の脚本が完成し準備を進める中で、監督はいくつかのシーンでは既に音楽のイメージが出来ていた。ミッシェル・ガン・エレファントだ。
撮影が進むにつれ音楽のイメージは次々に固まっていく。撮影が全て終了し編集作業を進めると同時期に音楽監督の上田ケンジとミーティングを重ね、上田が仮編集した映画に音楽を入れていく。
勿論、監督豊田のイメージを尊重しつつ上田独自の音楽センスを発揮していくわけである。街角で映画『青い春』の音楽が聞こえてきた時に‘胸がキュンとなる’そんな映画音楽になったのではないだろうか。上田ケンジに感謝である。

『青い春』の話(8)

7月19日、松田龍平と豊田監督のトークショーに‘お約束’の新井浩文が参加してイベントが始まった。場内は通路に座り見、後ろに立ち見の大盛況だった。
観客から龍平に‘どのシーンが一番気に入ってますか’と問われて‘どのシーンも好きで、見るたびに違うシーンが好きになる’みたいな事を言っていたが、龍平はこの映画を何度も観ている。龍平に限らず今回のキャストはこの映画を何度も観ている。そしてスタッフもである。これほど出演者、スタッフに愛されている映画も珍しく、‘映画’にとってこれほど幸せなことはない。
撮影から1年、今テレビを観ると新井、高岡、忍成が出ている。山崎、塚本が出ている。EITAが出ている。みんなの活躍はめざましく、龍平も新井も仕事の合間を縫って駆けつけてくれたのだ。
イベント終了後、翌日朝が早い龍平は帰ったが、監督と新井と軽くビールを飲んだ。私と監督が“みんな忙しくなって嬉しいかぎりだが、今もう一度このメンバーで映画を撮る事は不可能に近いな”と笑って言うと、すかさず新井が‘ウチは大丈夫っすよ’と言う。と、監督が‘お前はいらんのじゃ、お前以外が難しいんだ’と、トークショーと同じ突っ込みをしていた。映画での幸福な出合いは再び同じキャストでの現場を持ちたい気分にさせる。
『青い春』は幸運にもそんな映画なのかもしれない。

『青い春』の話(9)

『青い春』が東京で公開されて早1ヶ月が経ち、名古屋、大阪、京都、神戸と順次の公開も始った。監督と龍平が先週末に各地の舞台挨拶に行ったのだが、評判も上々でとても喜んでいた。
少し遅れて公開された、同じく松本大洋原作の映画『ピンポン』も評判で一種松本大洋映画ブームとでも言えるような勢いだそうだ。私の信頼するプロデューサーの一人が両方の映画を観た感想は、『青い春』と『ピンポン』はまったく違った方向を向いた映画だが、ネガとポジのようでもあり、両方ともとても楽しめると言っていた。
『ピンポン』を観た方に是非、もう一方の松本大洋映画『青い春』に足を運んで欲しいものだ。ちなみに松田優作をモデルにした“ゲームソフト鬼武者”のコマーシャルに龍平が出演していたが、あれを監督したのは『青い春』の監督の豊田であり、『ピンポン』の主演俳優である窪塚君の出演しているコマーシャル(これは関西地区でのみのオンエアらしいが)も豊田が監督しているという不思議な縁もある。

『青い春』の話(10)

映画『青い春』は編集の力を改めて実感させられる映画でもある。
編集は豊田監督の2作目の『アンチェイン』からの付き合いの日下部が担当した。監督と気心が知れた日下部ならではカットも多く、『青い春』にも大きく貢献してくれている。
『アンチェイン』はドキュメンタリー色の強い映画で映像素材が約300時間分位あった。それを一気に40時間分位まで選んで本格的な編集に入った。それでも2時間の映画なら20本分の素材があったのである。
『青い春』はそんな事は無かったが、日下部は撮影中から撮り上った素材を次々に繋ぎ、ああでもないこうでもないとシーン毎に編集し、仮で音楽を入れシミュレーションを続けていた。一つのカットを何処に繋ぐかで映画は意味も効果も大きく変わる。
ラストシーン近くで九條が走るカットバックで青木が振り返るカットがあるが、あれは脚本には書かれていない。編集作業の中で出てきたものだ。
日下部は“毎日編集機に向かっていると神が降りてくる”と、言う。繋いではばらし、繋いではばらしで、映画『青い春』は出来た時、日下部は満足そうに“ようやく神が降りてきてくれました”と笑った。

『青い春』の話(11)

『青い春』には魅力的な女性キャラクターが登場している。
売店のオバサンをやってくれた小泉今日子は言わずと知れたスターである。彼女が出演してくれるかもしれないとの打合せの前、“いくら何でも売店のオバサンなんて役名はまずいんじゃないか”という意見があり、“売店のおねえさん”だったか “売店の女性”だかに直していった所、小泉さんから“これってオバサンでしょう”とあっさり言われた。脚本を読めばどう考えてもオバサン役なのだ、流石に女優さんである。しかし、それでも面白そうな映画だから出ると言ってくれた。
唯一の女子高校生役の英玲奈(エレナと読む)は知る人ぞ知る美人アイドルである。校門でボーイフレンドを待っている役柄で台詞もなく、それでいてあの九條の顔が思わず緩んで手を振らせる可憐さが求められる難しい役である。
ずっと男ばかりの撮影現場でこのお二人の出番の日はスタッフもキャストも和んだ雰囲気となった。文字どおり男子高に突如美人が現れるのだからワクワクもした。“衣裳替えは何処ですんのかな?”“サインくれとか恥ずかしい事いうなよ”などとバカ会話が飛び交った。それまでは衣裳メイク部屋に仕立てた開けっ放しの教室で、学生の体育の時間のようにみんな無造作に着替えていたのだから無理もない。勿論ちゃんと別の部屋は準備されていた。

『青い春』の話(12)

映画の現場スタッフの中には実際の仕事以外にその撮影現場の精神的支柱になってくれるスタッフがいる。それは映画にとってとても有り難い事であり、録音技師の柿澤は豊田組にとってそんな存在である。
録音部の仕事は一般の人にはなかなか分かりづらいパートかもしれないが、映画を活かすも殺すも彼らの仕事にかかっていると言っても過言ではないと私は考えている。『青い春』は学校のみで撮影した映画だが、それでも色々な音が飛び込んでくる。直ぐ前の道路を走る車の音、救急車のサイレン、風に揺れる窓ガラスの音、飛行機の音、誰かの怒鳴り声、子供の笑い声が風に乗って聞こえてくることもある。そんな撮影現場で俳優さんの台詞だけを録り、そのシーンで必要な状況音だけを録る。それは神業に近いと感じることさえある。これを読んでくれている貴方が今居る場所で耳を澄ませてみて欲しい。色々な音が聞こえてくるはずだ、換気扇の音、風の音、2階を誰かが歩く音、椅子のきしむ音。いかがだろう?私たちの日常の中にいかに音があふれているかおわかりいただけると思う。そしてその音が映画のワンシーンに入った時、映画にある意味を与えてしまうのである。雪男がトイレで大田を刺すシーンに救急車の音が入っていたら“ちょっと早いんじゃないか”となるし、子供の笑い声が聞こえてきたらホラー映画になってしまう。加えて言うならそのシーンに何処までどれくらいの大きさで音楽を入れていくかを決めていくのも録音技師の仕事である。『青い春』の音楽は素晴らしいと言ってくださる方が多いが、その素晴らしい音楽を充分に活かしきったのも録音技師の力によるところが大きいといえる。

『青い春』の話(13)

映画が完成に近づくにつれ、自分の高校時代には『青い春』の登場人物の中で自分は誰的な存在だったのかと考えることがあった。‘お前この中で誰的だった?’という話を良くした。
‘新井は青木で、龍平はきっと九條だったでしょう’と監督が言った。そりゃそうだろう監督はそう感じてキャスティングしたのだから。
監督自身は誰だったって聞くと‘木村ですかね’と言った。キャストのあいだで木村役は格好よく描かれていると言う声を良く聞いた。それは勿論大柴が格好良かった事が第一の要因だが、監督の自分は木村だったという思いがチラリと出ていたのかも知れない。
思い返してみると九條も青木も木村も雪男も大田も吉村もレオも堀も江上もいたことに気づく。

『青い春』の話(14)

“若い才能に出会いたい”監督、豊田が松本大洋の原作『青い春』の映画化を引き受けた時に言った言葉だ。そして松田龍平と会った。
龍平は大島渚監督の映画『御法度』で鮮烈なデビューをはたし、数々の新人賞を受賞していた。それでも豊田とは初めての出会いである。お互いがどう感じるか?共に映画を作りたいと思えるか?豊田の答えは早かった “龍平の目がいい”監督の豊田が九條役に龍平をと望んだ決め手だった。そして龍平も九條をやると言った。龍平の九條を軸にキャスティングが進むことになった。豊田は言った、 “出来るだけ沢山の若者に会わせて欲しい”豊田は若い才能とは言ったが若い俳優とは言わない。つまり幅広い人材探しを望んでいた。勿論すでにプロダクションに所属している若い俳優にも会いたいし、幅広いオーディションもしたいというわけだ。
小学館の協力を得て雑誌で一般公募もし、各プロダクションの協力を得ながら沢山の若い俳優に会った。そうして選ばれた若い才能が今映画『青い春』の中ではじけている。『青い春』の渋谷シネマライズでの公開は来週13日で終わる。
長く支持していただいた映画だが、公開の終わりを寂しく思っているキャストも多い、もしかしたら映画の中だけでなくそんなキャストを劇場で見かけることがあるかも知れない。

『青い春』の話(最終回)


『青い春』のカメラマン、笠松則通、日本映画を好きな方なら彼の事を御存じの方も多いと思う。数々の日本映画の傑作を手がけてきたカメラマンである。『青い春』でも、学校という画格的に変わり映えのしない状況にもかかわらず笠松のカメラは躍動し冴渡っている。監督の希望する無理難題ともいえる演出プランをニヤリと笑いながら事も無げに撮っていくクールなカメラマンである。

限られた予算と時間の中での映画製作では、スタッフ&キャストに肉体的にも精神的にも多大な負担を強いることが多い。今回の『青い春』も例外ではなく、スタッフ、キャストの力を100%発揮してもらわなければ映画は成立しないとの危惧が私にはあった。しかしその危惧を吹き飛ばすかのように全てのスタッフ、キャストが150%の仕事をしてくれた結果、この映画『青い春』がある。

“ 『青い春』の話 ”はそんな素敵なスタッフやキャストに感謝の意味を込め、映画『青い春』を応援して下さった観客の皆さんに彼らを紹介したくて書き始めた。願わくば再び次の映画でこの素敵なスタッフ、キャストそして観客のみなさんと出会える事を楽しみにしています。
いい酒飲もうぜ!!

菊地美世志